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【連載】心のラジオ、COCOらじ 《Vol.15春号》

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    パブロ・ピカソは、「すべての子どもは画家として生まれる。しかし、大人になるとともにその才能を忘れてしまう」と言いました。ピカソの話は、「人は子どもの頃、見るものすべてに誰かから教えてもらった『枠(見方)』ではない、自分の感性そのもので描ける存在である。しかし、大人になっていく中で『型や基準』を優先し、豊かな発想力を失い、画家としての生き方ができなくなる」ということだと思います。
    ピカソの話は、画家としての素質だけでなく、「ユーモア」の話でも共通します。子どもの頃の私たちは、よく笑ったし、よくおしゃべりをしたし、よく歌ったりしてとにかく元気でした。その時の声は明るく、清らかで、その声を聞く周りの人に元気を与えていました。学校で友たちと喧嘩しても仲直りができ、その友たちが親友になったりもしました。一人が笑うと次々と笑い、一人が歌うとその場は合奏の場として変わりました。なぜ、このようなことができたでしょうか?それは、心が流れていたからです。嫌な思いや感情に縛られず、溜めこまず、流せる心を失っていなかったからです。

    数か月前の出来事ですが、ある日、些細なことで妻と言い争いました。お互いが嫌な気分になり、相手に対して笑わなくなりました。会話は減り、言葉は刺々しく、無表情でお互いが他人のように行動しました。その時の私の心は、仕事をしても、人と話をしても苦しく、不安で嫌な感情が解決できないまま時間だけが過ぎました。数日後、その苦しさに耐えられなくなった私は、仲直りを考えますが、それは、嫌な感情に心が縛られている自分に自由を与えるためでした。不思議だったのはその瞬間から心は段々と軽くなり、妻に(ユーモアを交えて)謝ることができました(今でも謝ることなんかしていないと思いますが...)。そして、その時の妻の反応が私にとって大きな知恵を学ぶ機会になりました。その時のやり取りをここで再現してみます。

    私:(何とかかんとか言った後に、笑顔で妻に向けて)嫌な思いをさせて、ごめんな!
    妻:(私の何とかかんとかの話が面白かったらしく、ぷっと笑いました。が、笑った顔を見せず)あなたの話でちょっと笑っただけで、私がもう怒っていないだろうと勘違いしないでね(怒)。
    私:(やばいな...、笑わせるところ間違ったのかな...)は、はい。別に怒っていないとは思っていないよ(汗)。
    妻:(急に考え込む)でもね...もう良いことなんだだけど、なぜか、まだ怒っていないといけない気がするのよ。
    私:.........。流せるものなら流せばよいのに...あぁ~!こういうことなのか!

    皆さんはこの会話で何を感じましたか?人の心は流れなくなると汚れます。私たちは生きる上で、「これは流せる!」と気づいても、実はその悩みや問題を心に溜めこむことで自分を正当化しようとする未熟なクセがあります。だから、「流したいと思っても、流すことを認めないもう一人の自分」に負け、苦しみの渦巻きを経験します。しなやかな心で生きたいのですか?では、まずは深呼吸を深くしながら空を見上げて下さい。そして、生きている自分に感謝し、ないもの探しではなく、あるものへの有難さを感じて下さい。山を見て、川を見て、鳥をみて、人を見て、ニコッと笑える自分の存在を認めて下さい。自分の声を聴き、元気かないようであれば、疲れている自分を慰め、励まして下さい。何よりも、手放しても良いこと(もの)があるなら-それが人からの傷であれ、過去の過ちであれ-、自分の心を守ることを最優先し、人生の舞台で一所懸命に生きている自分を認めて下さい。これを私は、しなやかな人生だと呼びたいです。次回では、「集中する人生・執着する人生の違い」についてお話します。

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