- こころ旅Ⅱ - 心の指輪 「This, too, shall pass away」 -ある日、王様が宮中の細工師を呼んで話しました。「私のために美しい指輪を一つ作りなさい。指輪にはこういう内容の句を彫りなさい。私が大きい勝利をおさめて嬉しさの余り、高慢になろうとする時、それを調節できる句でなければならない。また、私が大きい絶望に陥って落ち込んでしまう時、勇気と希望を与えられる句でなければならない」。細工師は、美しい指輪を作ったのですが、句のために大きい苦悶に陥りました。何日も悩み、ある賢者を訪ねて行って、どんな句を書き込むべきか助けを要請しました。その時、賢者がこういう文を書きました。「This, too, shall pass away(これもまた過ぎ去るだろう)」。この話は、ユダヤ教の経典注釈書であるミドゥラシュに出て来る話です。前回の連載で、こころ旅にはしなやかな旅心が大切であり、心のしなやかさには、ユーモアが重要だと話しました。今回もこころ旅に必要なもう一つの旅心についてお話します。皆さんは「心の指輪」の物語を読んで、何を考えましたか?「心の指輪」の話のように私たちの人生でも大きな成功や失敗が訪れる時があります。成功の時には、嬉しさのあまり高慢になったり、優越感を持つ時があります。また、大きい失敗や絶望の壁に直面した時には、この辛さは永遠に続くものだと思ったりもします。しかし、大切ことは「幸せな瞬間が永遠ではなかったように苦しい瞬間も永遠に続かない」ということです。心が砕かれ、苦痛の時こそ、私たちは「This, too, shall pass away(これもまた過ぎ去るだろう)」の旅心を思う出すべきです。こころ旅の経験は、人の成長・成熟の材料となります。こころ旅には、「情熱期・倦怠期・成熟期」という3つの山があり、「成熟期」の山にたどり着くには「情熱期」と「倦怠期」の山道を通らなければなりません。しかし、途中の「倦怠期」の山道は、なかなか険しいものです。人生で価値あると思う何かのために一所懸命である「情熱期」という山は、道の方向さえ注意すれば乗り越えられますが、人生の意味に迷い、生きる力を失う「倦怠期」の山は涙の道です。「倦怠期」になると今まで何か(誰か)のために一所懸命に尽くしてきた時間が無駄だったと本気で思ったり、激しい孤独を感じたり、そして、時には辛さのあまり極端的な選択をすることもあります。この山は、いつも以上に丁寧に、慎重に乗り越えていかなければなりません。 人生を投げ出したくなる「倦怠期」の山が目の前に現れたら、焦らずに足を止め、ゆっくり深呼吸をし、「心の指輪」のメッセージを思い出して下さい。「この山も、また過ぎ去るだろう」。同時に、「成熟期」の山が近づいたことに気づき、勇気と希望を諦めないで下さい。収穫の秋が寒い冬に備えるように、厳しい冬の後は必ず、命の春が訪れます。次号では、「人生の悩み~人はなぜ、『所有』に執着するのか?~」についてお話します。