人が人生で最も悩むことは何でしょうか?「私は誰?」という「存在」への悩みでしょうか、それとも、「私には何があるの?」のような「所有」への悩みでしょうか。おそらく人は、「所有」よりも「存在」について多く悩むはずです。「存在」への悩みは、人にとって自分の価値に出会える唯一な通路だからです。
しかし、「存在」への悩みが「所有」の問題に絡まれると、その通路は迷路になります。
皆さんに一つお聞きしますが、自分を自分として存在させてくれるもの-つまり、他人からの良い評価のために理想の自分の姿を演出してくれるもの-は何でしょうか?この質問に対してたいてい口を揃えるのが「私は何を、どの程度持っているのか」です。だから人は、経済的余裕、豊富な知識、立派な学歴、社会的地位、魅力的外見などの「所有」を得るために一所懸命に働き続けます。
人は、ありのままの自分に気づき、その姿を受け入れ、自分として生きることに苦手なので、「所有」というプリズムを通して自分の存在価値を確かめたいのです。しかし、「所有」というプリズムによる「存在」への答えは、残念ながら不安定で相対的なものになります。
ある日、30代の男性が相談に来られました。貧しい家庭で育った彼は、生活の中で自分が否定される場面に出会うと、「経済的に貧しかった自分の育ちのせいだ」と考え、劣等感の中で生活を続けていました。彼は必死に働き、ある程度の経済的な豊かさを手に入れることができましたが、しかし、「所有」による満足感よりも、その「所有」を失うことへの不安に耐えられなくなって相談に来られたのです。もちろん、「所有」は生活上、とても大切なものです。しかし、「所有」を自己価値の条件として使うと、いずれその条件が基準に変わり、その基準が自分を断罪する「両刃の剣」になります。
では、「存在」への悩みと正しく向き合うためにはどうすればよいでしょうか?
それは、「所有」の意味を正しく理解することです。「所有」は、人の価値を決める条件でも基準でもなく、生きる上で必要な手段に過ぎないことを忘れないで下さい。
また、ありのままの自分を受け入れてくれる人の存在に気づきましょう。条件としての私ではなく、ありのままの姿を見てくれる人との関係によって人の内面は成長します。
周りに大きく見せようとしていた自分を認め、心の過剰な力を抜くことも大切です。心の力が抜けた瞬間、心は軽くなり、自分らしい生き方を体験します。自分が好きになれる条件を揃える努力も大事かもしれませんが、今の自分を誰よりも大切にする心の姿勢、私たちは、未来を生きているのではなく、今を生きています。
生きるとは、この世でいちばん稀なことだ。たいていの人は、ただ存在しているだけである(オスカー・ワイルド)。
皆さんは、自分として今を生きているでしょうか。それとも、誰かから求められる自分として存在しているだけでしょうか。
人生は、「所有」のためのスキルを学ぶ場所ではなく、「自由」を学ぶ素晴らしい学校なのです。
次号では、「人生の学校~入学条件と自由への学び~」についてお話します。